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PBP 2011

  • Posted by: rp-taki
  • 2011年9月2日 00:30
  • Road | Travel

念願のPBP(Paris-Brest-Paris)に参加した。

走行距離は1230Km。制限時間90時間のところ、89時間1x分で完走。


コースプロフィール的には、延々とゆるやかなアップダウンが続く感じで、きつい上りはほとんどなかった。個人的には非常に走りやすかった。スタート時刻を8/21 21:00と遅くしたこともあってか、スタート前や各コントロールポイントで混雑するようなこともなかった。PBPの雰囲気を楽しむには、あえてもっと混む時間を選んだ方が良かったかもしれない。今回完走して余裕ができたので、次の機会にはもっとチャレンジしたいと思う。


実際のところは、復路のVILLAINES-LA-JUHELでウワンさんが来るまでちょっと待ってみた影響で、以下のように遅れてはいるが、PBPの例外規定「遅れても2,3先のコントロールまでに取り戻せばOK」があるので、おそらく大丈夫だと思う。復路のVILLAINES-LA-JUHELをクローズから3時間遅れでスタートし、そこから遅れを取り戻すために結構踏んだので、MORTAGNE-AU-PERCHE→DREUXがやたらと速い。
・復路のMORTAGNE-AU-PERCHEで90分ほど遅れ。
・復路のDREUXで数分遅れ。

なお、遠征中に撮影した写真はこちら(PBP以外の観光写真多め)。

■楽しかったこと
(1) 日本では見られない風景
これまで見たことのない風景、初めて走る海外の道路、その全てが新鮮。しかし、全区間通じてほぼ同じなので、流石に1200Kmも走ると、その感動はだんだん薄れてくる。

(2) 各コントロールでの盛り上がり
日本のブルベでは、大抵、コントロールはコンビニのレシートチェックという味気ないものである。しかしPBPの各コントロールでは、ボランティアで運営するスタッフが歓迎してくれる。ブルベカードにスタンプを押してくれるスタッフから「おめでとう、頑張って」という激励の言葉を聞いて、それに対してお礼の言葉を返す、たったそれだけのやり取りが不思議と楽しい。PBPの最中はお祭りのテンション。


コントロールポイント。 ところによっては派手に飾ってあったり、MCが入っていたりする。当然ながら、何言っているのかは全く分からなかった。

(3) 沿道の人達の応援
沿道でちょっとした食べ物を振舞ってくれる人や、応援してくれる子供達などがたくさんいるので、見るたびにご馳走になったり手を振ったりしていた。散歩したり座って見ていたりする人達にも片っ端から挨拶した。おじさんが返すサムアップがやたらと格好良く見えたし、おばさんが返す笑顔がやたらと可愛らしく見えた。ある場所では、地元の子供達が参加者の名前のサインを集めていた。おそらく、夏休みの宿題か何かなのだろう。漢字で名前を書いてあげたらすごい喜んでいた。後から覚えのない請求書が届いたりしたらどうしよう。そういや、漢字で名前だけ書いて、読み方を教えてない。

(4) 海外の参加者との触れ合い
見知らぬ海外の参加者と各コントロールで会話してみたり。また、震災のこともあってか、並走中に、日本を応援してくれる参加者が声をかけてくれたりした。フランス語はもとより、英語が苦手であまりコミュニケーションをとれないのが悔しい。

■辛かったこと
特に無い。寒かったという話も聞くが、私は半袖とUVアーム&レッグカバーで概ね問題なし。体から発する熱と気温のバランスが良かったのか、むしろ、ひんやりとして気持ちよかった。汗も殆どかかなかったので、インナーが湿ってしまうことも、汗臭くなってしまうこともなし。また、お尻の痛みも全く無かった。平坦基調でそれなりにペダルを踏めるので、お尻にかかる重量が軽減されたのだろう。天候については、初日二日目と雨っぽかったが、基本的にぱらつく程度だったので、半袖のまま走っていた。ただ、400Km前後のところで雷雨がきて、直上で雷の轟音が轟いた時は怖かった。さすがにそこはレインウェアを着たが、ルディアックにつく頃には止んだので、大きなストレスにはならなかった。

強いて挙げれば、以下のトラブル。
(1) 往路のルディアック直後にパンク
ルディアックのコントロールで仮眠し、ドロップバックしておいたウェアに着替えて気持ち良く再スタートした直後にパンク。夜ではあったが、幸いにも町の中で明りがあり、雨も止んでいたため、チューブ交換作業自体に問題はなかった。ただ、4本持参したチューブのうち2本が20インチのチューブという痛恨のミス。残った2本はパナの軽量チューブ。とりあえずパナの軽量を入れたものの、残り700Km以上あったので、次のコントロールでチューブを2本購入した。その後はパンクなし。

(2) 夜間走行中に落車
日本のブルベでいつも点けているキャットアイのHL-EL520(1,800カンデラ)+ヘルメットライトでは光量が足りずに道が見えなくなり、砂利道に突っ込んで落車。落車した際には、クラッシュ音を聞きつけて、家からおじさん2名とおばさん1名が出てきて、「体は大丈夫か?(多分)」「水はあるのか?(多分)」「おい、チェーンが外れてるぞ!!(多分)」と、たいそう心配してくれた。幸いにも速度を落としていたため大した怪我はなく、大丈夫であることを伝えたかったのだが、何と言っていいかわからないので、とりあえず、「ノープロブレム、メルシー」と答えた。再スタート後は、予備で前輪ハブ脇に点けてあるHL-EL520も点灯させて走った。

■フランス入り

8/17 16:00 CDG空港着。飛行機に乗っている間に全力でフランス語の勉強をするはずだったのだが、全力で「SP 野望篇」「SP 革命篇」を見てしまった。約12時間のフライトだったが、それほど長いとは感じなかった。フランス滞在中のホテルをとってあるセーブル・ルクルブ(Sèvres Lecourbe)までは、以下のルートで移動。
・エールフランスバスでモンパルナス駅まで。
・モンパルナス駅からメトロ6号線でセーブル・ルクルブ駅まで。


CDG空港内では、動く歩道のトンネルを移動。意外と薄暗いなぁ、というのが第一印象。


心配だった自転車輸送でプチトラブル発生。前のクイックレバーが外れて、フロントフォークが固定具から抜けていた。ただし、これはおそらく、空港側の取り扱いというわけではなく、輪行バック側の問題だと思う。輪行バックとして使ったシーコンエアロコンフォートプラスに付属するクイックレバーの固定が弱い。帰りにシマノのクイックで固定したら問題なかった。

■前日車検
8/20 9時車検。私はパリ市内にホテルをとったので、スタート地点のサン・カンタンまで往復自走した。ホテルを7時に出て、ミスコースしつつ9時に到着。事前に登録した車検時刻は10時だったが、時間についてはおおよその目安にすぎないらしく、とくに時間をチェックされたりすることはなかった。


車検場。国内のブルベよりチェックは厳密。ライトのバッテリーの予備があるかどうか聞かれた。ホテルに置いてあると伝えると、忘れるなと念を押された。


体育館内で手続きをして、ブルベカードや計測チップ等を受領。こちらも人はまばら。

■スタート前

8/21 21:00スタートも人はまばら。というか、ギリギリまでホテルで寝て20時ごろスタート地点に着いたら、スタート前のセレモニーがほぼ終わってて見られなかった。同じく21:00スタートの日本人参加者と会話しながら待っていたら、程なくスタート時間が来て、あっさりとスタート(21:09)。

■道中(昼)
PBPの道中は、コースだけみると非常に単調。ぽつぽつと街があって、その間は延々と畑。町と町の間には何もない。


昼間は大体こんな感じ。


または、こんな感じ。そういえばフランスの道路は、センターラインが直線で道路脇のラインが破線ってのをよく見た。日本と反対だなと思ったものの、直線と破線でどういう意味があるのかは不明。


アップダウンは概ねこの程度。きつい登りでもせいぜい5,6%で、長くても10~20分で終わる。丘陵地帯よりも、むしろ街中の坂道のほうが勾配はキツイ。


森に入るとこんな感じ。


街が近づくとこんな感じ。


横を見るとこんな感じ。日本と違って山が全く見えず、地平線の果てまで延々と丘が続く風景は感動する。


高低差がほとんどないので、見下ろす感じの景色はなかなか見られない。いろいろ探してこのくらいの見下ろし感がやっと。


またはこれくらい。 たまに見えるそういう景色が、ペダルを漕ぐ気力をつないでくれる。


町に入るとこんな感じ。これは結構大きめの町。


小さめの町だとこんな感じ。


ほとんどの町の中心に教会がある。全部撮影しているとタイムオーバーになりそうなので、最後の方はスルーした。ちなみに、前に移っているのは、ママチャリで参加していたマドモアゼル。上りで見せる軽やかなダンシングが素敵だった。


教会の多くに、第一次世界大戦中に亡くなった子供の慰霊碑があった。

■道中(夜)
基本的に、道路脇に電燈はないので、夜になると真っ暗。町の中は電燈があるので大丈夫。大きい道路には、センターラインや反射材があるのでまだ大丈夫。しかし、ところどころで進行方向を探るものが全くなくなるゾーンがあった。落車したのはそんなところ。

復路のルディアックに向かっている時には、私以上に光量が少ない(多分フランス人の)参加者に、「暗くて見えないから連れて行ってくれ(多分)。」と言われて後ろに付かれたので、ペースを合わせて誘導したりもした。ルディアックに着いたら、肩を叩かれてお礼を(多分)言われた。が、返し方がよく分からず、とりあえず、「OK、ノープロブレム」と返した。


夜の街は、概ねオレンジ色の電燈が灯っていて、町の中心にある教会がライトアップされている。


町を出ると、電燈があってもこれくらい。


電燈がないとこうなる。私の光量では道路と沿道の区別が難しく、センターラインを便りに進むことになる。この後、しばらくして落車した。

■道路脇の風景
(1) トウモロコシ

PBPでは、ほとんどこればかり見ていた気がする。フランス入って以来、日本の味から離れているので、塩醤油系に対する欲求が強くなっており、トウモロコシ畑を見るたびに、とんがりコーンが欲しくなって仕方なかった。

(2) 牛

おおよそ、ベージュ、茶色、白黒の3種類の牛が見られる。ベージュや茶色の牛は国内でそう見てないので、そういう牛をみると国外を走っている気になる。

(3) 枯れたヒマワリ畑

ツールでおなじみのヒマワリ畑。ツールから1月経ったらほぼ枯れていた。

(4) 応援アイテム

地元の子供たちが作ったと思われる応援アイテム。こういうちょっとしたものでもやる気が出る。


こんなものある。

(5) 町の終り標識

町の境界線を示すと思われる標識。居住地の終り辺りに、斜に赤の取り消し線が入った標識がある。当初、取り消し線が入っているので廃村にでもなったのかと思ったが、随所に見られるので町の終りであると判断。どうやら、居住地の境界だけを切っているようだ。この裏、もしくは反対車線に、取り消し線の入っていない標識がある。日本の場合は、居住地と関係なく、町と町の境界線に標識があるので、「ここから○○町」という標識が出ているのだが、フランスでは次の居住地がくるまで標識がない。そのため、この先が何というところなのか分からない。というか、居住地の間の土地はいったいどういう扱いになっているのだろうか。

(6) コース誘導矢印

往路は黄色。復路はオレンジ色。一応、GPSにコースデータを入れてはいるものの、細かい曲がり角までは追い切れないので、コース脇の矢印は助かった。特にロータリーでは、出口を識別するのに矢印が役立った。

(7) 藁

これは日本でもよく見る。

(8) ロータリー

フランスではよほど大きな町でない限り、交差点はロータリーになっている(右側通行なので反時計回り)。そのおかげで信号が全くない。車を減速させる効果もあるとのこと。日本でその走行感覚を体験できるポイントは少ないが、千葉のみどり台駅の近くにあるので、体験したい方はどうぞ。なお、日本は左側走行なので時計回り。

(9) 中央分離帯

分離帯の長さは短いし高さもない。往来の分離やUターン防止等の役には立たず、どういう意図をもって配置しているのかよく分からない。注意を促して車を減速させたいのかもしれない。

■コース中の視界変化
基本的には、上に示した写真のような風景が延々と続く訳だが、ごく稀に視界が変化するポイントが来る。

(1) 湖

PBPのコースには水っ気が足りないというか、日本のブルベでよく見る海、川、湖などが非常に少なかった。そんな中で、この湖は、畑続きで乾燥した脳内を潤してくれる貴重な存在だった。

(2) 川

PBPで見たほとんど唯一と言っていい川。正直、そんなに大した川でもないのだが、そんな川でも水を見ると気持ちが安らぐから不思議だ。

(3) 最高標高地点付近

だいたい350m前後。付近に木は生えていない。深い霧がかかってしまっており、ちょっと冷えた。近くに湖があって、多少天気が回復した復路では、それがうっすらと見えた。天気が良ければきれいに見えただろうに、ちょっと残念だ。

(4) ブレスト
ブレストはPBPの折り返し地点であると共に、海岸沿いに存在する唯一のコントロール。街の規模も他のコントールと比べてかなり大きい。その為、ここだけは違う雰囲気だった。

海と同時に折り返しが見えて、テンションが上がった。


初めて見たヨーロッパの海の感激と、とりあえず半分来たという達成感で、10分くらい休憩。


ブレストの海から登る坂道。丘陵地帯よりもよっぽどキツイ。


ブレストの街中。PBPの最中に数千台の自転車が通るには、ちょっと交通量が多いかなぁという印象。


パリを出て以来全く信号が無かったが、ブレストまで来てようやく信号が再登場。

(5) フージェールの要塞

ブルターニュ公国がフランスの侵略に対するのに作ったものだそうだ。周りに観光客もいた。

■補給
補給は、概ね以下を採った。
(1) コントロールでの食事
(2) 日本から持参したパワーバーやドリンク粉末
(3) 沿道で振舞ってくれる食糧や水分
各コントロールの間隔が70〜80Km程度と短いので、各コントロールでそれなりに食べれば食料不足に陥ることはほぼ無い。前回は混雑して大変だったという話も聞くが、今回はスムーズに補給できた。むしと、コントロールの度にバクバク食べていたら胃がもたれてきたので、胃薬を2度ほど投入した。

また、昼間の間は沿道でパンやケーキ、コーヒーやジュースなどを振舞ってくれる人がたくさんいるので、その度に止まって御馳走になった。地元のカフェなどでのんびりしている人もいたりして、ちょっとそういうのもやってみたくなったが、今回はパス。次の機会にはそういうのもしてみたい。


コントロールポイントでの食事。人によっては合わない人もいたみたいだが、私は平気だった。コントロールは15個前後あったのだが、ほとんど変わらぬメニュー。ご飯とみそ汁が欲しかった。デフォルトの量が多いので半分の量に減らして欲しかったりしたのだが、言葉の問題でそのリクエストがうまく伝えられずに苦労した。ちなみにフランスの田舎では、コーヒーを丼みたいな器でガバガバ飲むらしい。puttyで日本サイズ。

■睡眠
睡眠は、各コントロールで30〜1時間くらいをちょくちょくとった他、往復のルディアックで2〜3時間。トータルでは10時間位。道端で寝たのは2回。寝過ごし防止のために持っていったTANITAのバイブレーションタイマーが非常に役立った。


「フランスまで来ておきながら、道端で仮眠しないのは勿体無い。」という、ちょっと変な思いにかられて、スーパーらしき建物の脇で10分ほど仮眠してみた。

■夕日と朝日
走行時間が90時間に及ぶPBPでは、夕日と朝日を見るチャンスは3回くらいずつある。今回、1,2回目は雲に覆われてしまって見られず、最後の日の夕日と朝日だけを臨むことができた。フランス走行中の夕日と朝日を是非見ておきたかったので、なんとか希望はかなった。


フランスでの夕日。しばらく止まって待ってみたが、クリアな夕日にはならなかった。でも、それなりに見えて満足。


フランスでの朝日。

■フランス発

8/28 20:00 CDG発。遂に終わってしまう残念感と、やっと帰れる安心感で複雑な気分。


8/29 14:00成田着。 ほぼ二週間ぶりに見る日本にホッとした。

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