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BRM423名古屋600

  • Posted by: rp-taki
  • 2011年5月1日 13:00
  • Road

今年最初の600Kmをなんとか完走し、SR条件をクリア。

GPSログが壊れていたので、名古屋のサイトの画像を拝借。

コース上で、主な峠は以下の三つ。
・舞台峠(693m)
・宮峠(782m)
・数河峠(896m)

これだけでもかなり辛いのだが、峠と関係ないところでも大刻みなアップダウンが多数。しかも初日は荒天。コース、天候ともにハードであり、個人的には、これまで参加した中では最も厳しい条件だった。23日5時発/24日20:39着。制限時間の20分前でぎりぎりゴール。

コース全般的に、山間部を、飛騨川や神通川などの川に沿う形でルートが設定されており、自然味豊か。天気と体調と実力さえ整えば、気持よく走れそうだった。川沿いでは、川の流れを見て道路の上下基調が見て取れる。今回は、川の分岐や合流が多くて、流れがコロコロ変わる。下り基調を見て喜んで走っていたら、いつの間にか川の流れが逆行していてテンションが下がる。「良いことは長くは続かない、細かいことに一喜一憂せず、大きな心を持ってペダルを回し続けよう。」という悟りが啓けた。

最後は脱水と眠気がきつく、ゴール後にスタッフから頂いた一杯のスープを飲み干すのが精一杯な程。スープのおかわりなど他にも勧められのだが、気分が悪くて頂くことができなかった。東屋の端っこで10分ほど仮眠した後に、ホテルに帰って鏡を見たら、顔色が真っ青だった。

色々と反省すべき点はあったが、とりあえずSR認定は取得できたので、PBPの出走条件はクリアした。今年の残りのブルベはのんびり楽しみたいと思う。天気が悪ければDNSだ。

■往路
23日5時岡崎発、23日21時にPC3着。高岡に入るまではずっと雨だった。その割に、往路で4時間程貯金できた。

雨中にも関わらず、PC2まではいつもどおりのペース(5h/100Km)のペースで行けた。悪天候を気にするとストレスが溜まるだけなので、「過酷なコンディションが楽しい」という自己催眠をかけた。つまり、「台風で燃えるメソッド」の活用。無心でペダルを回した結果、途中の峠やアップダウンはいつの間にか越えていた。しかしPC2-3の途中、218Km地点まで来たところで、「この先登坂車線4Km」の看板が見えて、自己催眠が切れた。確か、数河峠の登り口だったはず。

最もきつかったのは数河峠からの下り。標高も高く、しかも日没の時間が過ぎているので、雨の激しさと気温の低さが堪えた。それが一番影響したのが指先。スタート時に着けていたゴアのレイングローブは激しい雨で水を吸って重くなってしまい、PC1で晴れ用UVカットグローブに変更していた。しかし、数河峠から下りが予想以上に寒く、晴れ用の薄手のグローブでは手が悴んでしまった。これはまずいと、レイングローブに戻したら改善した。しかし、しばらくの間、握力の加減がしづらくなって、ボトルでの水分補給が不足してしまった。レインウェアは蒸れるので、PC2までは700mlボトル1本/100Km程度の水分補給をしていたが、ここでの補給のミスが翌日に響いた。

上りではなく下りがきつかったというのが、初日のコンディションを象徴している。

PC3に着く頃に、ようやく雨が止んだ。PC3到着後は、近くのコインランドリーでウェアを乾燥して、仮眠。当初は、PC4まで頑張る予定だったのだが、過酷なコンディションで体力の消耗が激しく、眠気が強くなっていたので、予定を変更してPC3で休憩を取ることにした。ここまで頑張って貯金が出来ていたのが幸いだった。近くに銭湯もあったのだが、移動するのも辛かったので睡眠を優先した。ウェアを乾かせて気分良く再スタートできたので、かなり助かった。しかし、仮眠する前に、大きめのパンを食べてしまったのが失敗。これが弱った胃に響いて、復路がきつくなった。

また、雨中走行で、フロントのディレイラーの動きが渋くなってきて、ギアの上げ下げが思うようにできなくなってしまった。ブルベ中は、ダウンチューブについているワイヤーのダイヤルを走りながら回して調整し、なんとかギアをチェンジしていた。今にして思えば、PC3で水と歯ブラシでも買って、汚れを洗いなおして油を挿し直せば、もっと楽に走れたかもしれない。

■復路
23日23時にPC3発、24日20:39にゴール。この日の天候は、事前のチェックでは、概ね晴れ。「雨の往路をクリアできたのだから、雨が止んだ復路は大丈夫だろう。」折り返し前はそう思っていた。しかし、初日での体力の消耗が響き、むしろ復路の方が大幅にペースが落ちた。最後は制限時間ギリギリだったので、下り基調の最後のゾーンはかなり必死。前を走っている人を目標に踏み込んだ。脱水と眠気で22,3Kmしか出なかったが、信号が少なかったので、なんとか間に合った。

復路で苦労したのは、往路の疲れもあったと思うが、復路の中でも以下の4つの誤りを犯した。

(1)余分なウェア交換が多かった。
折り返しスタート時、明け方にかけてさらに気温が下がるのを想定し、インナーを重ね着したり、カイロを貼り付けたりして、防寒を強化。しかし、すぐに熱くなって再調整。また、昼間に、時折雨に見舞われた。往路の雨がトラウマ化しているので、その都度都度でレインウェアを重ねてしまったが、この日の雨は我慢できるレベルだった。結局、ウェア調整で30分はロスしたと思う。

(2)PC4のクローズを2時間間違っていた。
キューシートの印刷が不鮮明で、8:04締めを6:04締めと見間違い。計算上、変だなぁと思いながら走っていたのだが、早い時間を目標に走る分には問題ないだろうということで踏み込んでいたが、数河峠の登り口で6:04には間に合わなそうだと言う事になり、キューシートを再確認して誤りに気づいた。


クローズ時間の誤りに気づいて余裕ができたので、数河峠からの下り口で撮影。方向的には白山(はくさん)の方角だろうか。

(3)舞台峠の場所を間違っていた。
スタート前のブリーフィングの時に聞いた「峠は3つ」というキーワード。PC3-4で数河峠、PC4-5で宮峠、とくれば、舞台峠は最後のセクションだろうと。たしか、往路のPC1までに結構登ったしと。このような記憶によって、舞台峠は最後のセクションだと思っていた。そのため、PC4-5初めに宮峠を越えたところで、このセクションの上りは終了と勘違い。

時間的には余裕がありそうだし、往路で全く風景を楽しめなかったので、


・飛騨川とJR高山本線が交差するポイントで電車が来るのを待ってみたり(15分ほど待ったが来なかった)。

・飛騨川のほとりで、川のせせらぎと小鳥のさえずりを聞きながら、時折指すポカポカした日差しを浴びて仮眠してみたり。


・下呂温泉近辺で撮影してみたり。

などとのんびりしていたら、まだ舞台峠が残っていた。PC5の手前はかなり必死で、クローズの20分前位に到着。

(4)舞台峠の後は、概ね下りだと思っていた。
「峠は3つ」ってことは、すでに3つ越えたので、PC5以降は下りだろうと。たとえ多少のアップダウンがあったとしても、復路は高いところから降りることになるので、低いところから登る往路に比べれば、復路の上りは短いだろうと。結局、それらは大きな勘違いであり、愛知に入るまでは結構なアップダウンの繰り返し。下り基調なのは最後の40Km位のみだった。上りでダンシングを多用したためヘトヘトになった。

以下、番外編。

藤田屋
2002年に初めて食して以来、愛知に行くと何故か遭遇するスイーツ「大あんまき」。BRM129豊橋400の時も食べた。ブルベのスタート地点が藤田屋本店から割と近かったので、前日インして訪問した。ちなみに、初めて食べた時も藤田屋本店だった。


アンマキの藤田屋。


左から、桜/抹茶/栗。抹茶と栗は本店限定。桜は季節限定。

岡崎公園
ホテルの岡崎公園前から程近くにあり、ブルベ前日に訪問。地元の生徒(おそらく中学生)の絵画実習が行われていて、あちこちですれ違う生徒からよく挨拶された。多分、きちんと挨拶するようにと、先生から言われていたのだと思う。


徳川家康の生地である岡崎城。天守閣の佇まいは広島城のそれに似ている。天守閣内に案内人が多く、1フロアに1名いる。内部に陳列されている資料の説明のためにいるのだろうが、案内人が1フロアに1名いる天守閣というのはあまり記憶がない。


二の丸 能楽堂。徳川家康はここで生まれたと言われている。現在は舞台を施設として貸し出しているらしく、中には入れず。有料の見学施設とした方が儲かる気もするが、その内部に、当時のものは無いのかもしれない。


三河武士のやかた家康館。松平家宗主の松平親氏から徳川家康までのスコープで三河の歴史を紹介してくれる施設。ノリは、鹿児島の維新ふるさと館とかと似たような感じ。


龍城神社。岡崎城天守閣のすぐ脇にある。気高い乙女として現れた龍神を祀る神社。徳川家康(竹千代君)が生まれた時に、「城楼の上に雲を呼び風を招く金鱗の龍を見たり。」というのがあったらしいが、後付け疑惑あり。とは言え、ここで名古屋600Kmの完走を祈願したので、その御利益はあった。


五万石ふじ。藤は岡崎市の花らしく、五万石ふじは市の天然記念物。この時は時期がちょっと早くて、花が少し開いて、わずかに香る程度。


猫。私は猫に警戒されるらしい。実家の猫にも警戒される。どっちかというと犬派なんだけど、猫も嫌いではないのだが。

■八丁味噌蔵通り
岡崎といえば「八丁味噌」。岡崎公園駅から程近くに蔵の通りがあり、ブルベ前後の日に散策。「まるや八丁味噌」と「カクキュー」が同じエリア内に存在し、壮絶な勢力争いを繰り広げている雰囲気だった。蔵の辺りが「純情きらり」(宮崎あおい主演)のロケ地だったらしい。岡崎公園にもロケ地跡があった。ところどころに、出演者の手形が残されている。


まるや八丁味噌。創業延元二年(一三三七年)。訪れた時には、どこかのメディアの撮影が入っていた。蔵主らしき人がメディアの人と話しているのが聞こえてきたが、割とフレンドリーだった。工場見学あり。


カクキュー。創業年の詳細はよく分からなけど。西暦1600年代と書いてある。ホームページ上、まるやの方に気を使った記述も見られる。工場見学の他、「八丁味噌の郷」という施設も経営しており、マーケティングはこちらの方が上手そうだった。


帰りの電車の時間まで、八丁味噌の郷の売店で味噌串カツ。ブルベ翌日で胃も回復しており二本注文。甘めの八丁味噌ダレが濃厚。


八丁味噌の郷の食堂で味噌煮込みうどん。帰りの電車の時間まで間がなくなってきたので、開店時間の少し前に入店して待つことにした。店の人に時間がない旨を伝えてうどんがあがる時間を尋ねたら、早めに火を入れてくれた。そのおかげで余裕を持って食べることができた。 麺は固め。

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